【英語科通信2021-03-22からの転載】
アキラさんの国、カンボジア。“I had no choice.”の背景。
三省堂NEW CROWN2の終末に出てくるカンボジアの話を少し深く掘り下げて学びました。
カンボジアの人々のこと、国旗や国旗に描かれた遺跡のこと、20年にも及んだ内戦のこと、地雷のこと。
教科書に出てくるアキラさんは、内戦のさなか兵士として「自由」のない子供時代を送りました。
自由というものが存在することさえ知らずに育った子ども時代。
“I had no choice.(仕方なかった)”という彼の言葉。彼の苦難は、計り知れません。
教科書には、大人になったアキラさんが作った地雷博物館が紹介されていました。
実は、私も以前この博物館を訪れたことがあります。
そこに展示された写真を見てショックを受けたことを覚えています。
写真には、解放軍にナイフを突きつけられて怯える男、縄で縛られて連行される人々、無惨にも身体の一部が欠損した死体などが写っていました。
実際に回収した地雷や不発弾もたくさん展示されていました。その不発弾の上で小さな子どもが無邪気に遊んでいました。
当時のカンボジアは、クメール・ルージュが支配していました。
少年兵になり、銃の扱いや地雷に関する訓練も受けました。13歳の時、ベトナム軍に捕まり、クメール・ルージュと戦うことになりました。20歳で地雷撤去に取り組むようになります。
教科書では、詳しく触れてはいませんでしたが、アキラさんは、自身が地雷を埋めたことへの自責の念から、生涯を地雷撤去に捧げる覚悟をしたそうです。
地雷博物館には約5000の兵器が展示されていますが、地雷については、展示されているものはアキラさんが撤去した地雷の1割程だそうです。
今でもカンボジアには多くの地雷が埋まっています。全てを撤去するには100年以上かかると言われています。気の遠くなるような時間です。1日も早く全ての地雷が撤去されることを祈ります。
Google Mapの検索窓に「アキラの地雷博物館」又は英語で「landmine museum」と入力すると地図が地雷博物館にフォーカスされ、ストリートビューモード(画面右下の人形を博物館の上までドラッグする)で実際にその場にいるような感じで疑似見学できます。
アキラさんが内戦の様子を描いた作品も見ることができます。同様に、「一ノ瀬泰三(日本の戦争カメラマン)の墓」も見学が可能です。便利な世の中になりました。
内戦時代のカンボジアの様子を知ることができる映画がいくつかあるので、今回ひとつ取り上げています。「地雷を踏んだらサヨウナラ」という日本の映画です。1999年に公開され、私も見に行きました。
銃弾の飛び交う内戦中でありながらも、そこには実際に生活をして生きている人々が存在しました。
兵士はもちろん、明るく無邪気な子どもたち、恋をする若い女性、母国カンボジアを憂う若者など。この映画の中では、そうした地元の人々の暮らしぶりもリアルに描かれています。
今回のカンボジアの学習では、改めて戦争の酷さや悲惨さを思い知りました。
しかし、今、カンボジアは急成長しています。日系企業も多く進出しています。平均年齢が24歳という若い力にあふれた国です。
いつかもう一度行ってみたい国です。いつかみなさんにも訪れてほしい国です。
映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の紹介
内戦時代のカンボジアでフリーランスの戦争カメラマンとして活動していた日本人一ノ瀬泰三の物語。実話をベースにして作られた映画です。
タイトル:地雷を踏んだらサヨウナラ
原題:One Step on a Mine, It’s All Over
製作年・国:1999年・日本
ロバート・キャパに憧れを抱く日本人の戦場カメラマンがいた。佐賀県武雄市生まれ。浅野忠信演じる一ノ瀬泰三である。
銃弾の飛び交うカンボジア内戦を激写し続けるうち、解放軍「クメール・ルージュ」の聖域であるアンコール・ワットの撮影を思い立つ。
カンボジアには、高校教師のロック・ルーをはじめ泰三を支える多くの仲間がいた。当時のカンボジアで生きる人々の様子が生き生きと再現されている。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残して泰三は単身で聖地アンコール・ワット遺跡へと向かう。果たして、彼は、夢にまで見たアンコール・ワットの撮影に成功するのだろうか。